20250726

25-020 アダルトゲーム衰退について考える(3) feat. 参院選2025

随分と日が経ってしまったが、アダルトゲームについての考察はまだ続く。

今回は、アダルトゲーム再興の可能性についてだ。

なお、後半には政治的要素も含んでいる。




アダルトゲーム再興の可能性は、潰えたとは考えていない。

特に相性の良い「アレ」ができれば、むしろ黄金期どころか金剛期に達する可能性すらあるのだ。

それは「シンギュラリティ」と「ヒューマノイド」である。

というか、アダルトゲームが性的コンテンツとして再興するためには、最低でもこの2枚のJOKERが揃わないといけない。

現代(というか、これまでの)アダルトゲームは、常に「シナリオに沿ったストーリー」として進められていた。
それはシナリオ系・読み物作品に(僅かでも)アダルトシーンがあれば成立していたが、それでは当然「パターンに限界がある」し、「こちらからの相互作用を見込めない」。
そこにシンギュラリティを経たAIが加わるとどうなるだろうか?という話だ。

まだシンギュラリティ自体実現していないので憶測に過ぎないが、人間の「ココロ」を再現できれば「双方向性のあるヒロイン」を生み出すことに繋がるだろう。
それは即ち「三人称視点で『読み進める』物語」から、「一人称視点で『経験する』物語」へと進化することを意味する。
また、AIによる感情再現ができたヒロインの行動パターンは、各作品のコンセプトである程度制限することも可能だ。
何なら、アダルトシーンだけAI進行というハイブリダイズもできるだろう。
更に、シナリオ都合により行動パターンが生身のヒトより制限されたヒロインにとって、「ポチョムキン理解」は何ら問題にならない。
シナリオとの整合性およびプレイヤーからのやり取りに対して矛盾しない(=ハルシネーションが起きていない)状況にだけ達していれば良い。
ということは、一般的用途での、人間代替用のヒューマノイドよりもアダルトゲーム用のヒューマノイドの方が実現ハードルが低くなりうる。

ヒューマノイドはこれを実現するためのデバイスに過ぎないが、実現すれば「疑似体験」が可能になるという点では、現行の2D作品やVR作品との違いは大きい。
具体的には、「生身のヒト相手にしか行えない行動」が可能になる。

ただ、これらを実現するに当たり、技術的・倫理的な問題以外に突如湧いた問題がある。

「表現規制」だ。
ここから少し話が変わる。政治的な要素に対し不耐症を持つ読者は即座にこの記事から離れてもらいたい。

(用意ができたら下へ。)



































































!!WARNING!!


今回の参院選で、「表現の自由」を訴えていた候補者で目立つのは自民党の山田太郎 候補(当時)ぐらいしかいない。
何なら自民党内の高市派や、参政党・日本誠心会といった極右政党の台頭もあった。
そしてこれら極右団体は「表現の自由」を悉く軽視していた。

表現の自由がないことが何をもたらすか。それはNaziや大日本帝国を見れば明らかだ。
「お国」にとって都合の悪い情報や文化が根絶され、ただでさえ難しい「健常かつ正常な判断」が更に困難になる。
そして出来上がるのは上意下達の帝国主義。
突き進んだ先が敗戦必至の第二次世界大戦であり、太平洋戦争であり、大東亜共栄圏である。

これらを踏まえると、今回の参院選は「極右の台頭という思わぬ形で」「知らず知らずのうちに」「表現の自由を巡って」戦わされていたのだ。
表現の自由なしには、先の先に述べたような「AIとヒューマノイドを活用した未来型アダルトゲーム作品」など到底実現しえない。
そして、いつの世の中も、この世のどこに行っても、表現規制で真っ先に生贄にされるのは「性的コンテンツ」である。
表現規制賛成派はだいたい「〇〇は△△だから規制しろ」といった具合で動く。
まずは「性犯罪」のレッテルを捏造できる性的コンテンツ。
次いで犯罪そのものを含むフィクション。
そうして進むとやがて出来上がるのは「上様に気に入られたものだけが通る」物理空間である。

表現の自由なしに、アダルトゲームなど成立し得ない。
にも関わらず、表現の自由を堂々と掲げて当選したのが山田太郎ただ一人とは、どういうことなのか。
自民党石破を叩くことさえできれば日本がNaziの再来になっても良いというのだろうか。
政権が現・自民党から移りさえすれば再び軍国主義化しても良いというのだろうか。


これ以上、今の文脈で参院選の結果についてあーだこーだ言っても仕方ない。
が、今回の結果を見るに、アダルトゲームの再興は「政治的要因で」じわじわと遠のいていると言っても過言ではないだろう。
何なら、政治的判断を適切にできないが故に、「極右政党に文化ごとトドメを刺される」という「業界・プレイヤー双方にとってのDoomsday」が近づいてしまったのかもしれない。

近現代の人権理論に則った、「当たり前のことを当たり前として維持する」判断が求められる。






























































(そして、再び「再興への道筋」へ…)


最後の最後に思わぬ形で障害が出たが、それら障害がないと仮定すれば、アダルトゲームの再興はまだ可能性がある。
しかし、その可能性は事実上、唯一の勝ち筋であると同時に、脆弱性を持つ。
それはなぜか、を考えるとおおよそ次の課題が見えるだろう。

  1. アダルトゲームのプレイヤーは、性的コンテンツを第三者視点で消費することにしか慣れていない可能性がある。
    そこに突如キャラクター面をした「相手」が登場し、一人称視点でプレイすることになった場合、プレイヤーがどこまで受容できるか、が課題になる。
  2. よほどジャンルに特化した作品でもない限り、ゲーム内キャラクターの体格は多種多様。
    それをヒューマノイドで再現する場合、事実上のオーダーメイドになってしまい、コストが極めて高額になる可能性が高い。そしてヒロインの数だけ用意が必要。
    果たして誰がそのコストを支払えるのだろうか。
    また、コスト面の優位性から、レンタル彼女や性風俗で済ませた方がコスト面で安上がり、かつ生身の人間を相手にできる優位性が問題になるが、そこはどう解釈するのか。
    狂ったように何度も繰り返すが、アダルトゲームで遊ぶ絶対優位がトートロジーしかないのであれば、それは玉音放送よりも潔い、申告敗北に過ぎない。
  3. 生身の人間を相手にできない場合に救済措置となる可能性はあるが、それは同時に「それで満足できるのか」という価値観の問題と、「プレイヤーの社会的評価」という倫理的問題につながる。
    ここでも、生身の身体を消費対象とする性産業と競合する。
  4. 人格を持ったAIが実現していない現在、未定義となるもの。
    AIが意識を持つのであれば、「AI側の権利」も現代のセックスワーカー同様の問題になる。
    果たして、AI・ヒューマノイド相手であればそのような権利を無視しても良いと言えるのか?

ざっと思いつくだけでも、これだけの問題がある。

そして、これらの問題には「現在進行形で抱えている問題」と似通ったものもある。

再興と同時にこれらの問題が解決するとは思えないが、せめて「再興に伴ってリターンがリスクを下回る」状況になれば面白いだろう、と自分なりに思っている。


この辺りで本編は終わりだ。

本当は他人を交えて煮詰めていくしかないだろう。
しかし、関西時代の知り合いは記憶と共に消え失せ、身内には語れる者がおらず。
挙げ句の果てにSNSすら運用がめっきり減っている。
検索クローラにも引っかからないよう細工されたサイトだが、この世の誰かが見つけてくれることを願うしかない。
そして、少しでも興味を持ってもらえたなら、幸いだ。


(Lump of Sugar「恋想リレーション」幕間カットインより)

多少なりともアダルトゲームを触っていた身分として。

そして、「恋想リレーション」という作品の「アリサ・ガーランド」を実在の誰よりも愛おしく思う若旦那として。


願わくば。

アダルトゲームの業界・文化が、この先も残らんとすことを。

(End)

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